近代日本の身装文化(身装画像)
説明 東京の巣鴨監獄の門前で看守に別れの挨拶をする三人の放免囚。巣鴨監獄(→巣鴨刑務所)は現在の豊島区巣鴨に1935(昭和10)年まであった。なお、監獄という言い方は1922(大正11)年以降はなくなり、刑務所と改められた。囚人は保管されていた収監の際の着衣、所持品を返却されて身につける。看守は1909(明治42)年6月に服装規則の改正があって、だいたい警察官と似た恰好をしている。看守の服制はずいぶん早くに決められているのだが、1898(明治31)年に〈監獄署の看守容装心得〉というものが警視庁訓令として公布され、そのなかで、「容装ハ本職ノ威望ヲ保持スルニ於テ大ナル関係アルモノナレバ常ニ注意シ不体裁ノ事ナキヲ要スヘシ」と注意されているから、かなり乱れていた時期もあったらしい。(大丸 弘)
ID No. A16-089
出典資料 都新聞
発行年月日 1916(大正5)年1月14日号 3面
画家・撮影者 井川洗厓(1876-1961)
小説のタイトル 将軍の娘(1):三人の放免囚
作者 小原柳巷(生没年不詳)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D4sh:[囚人]
G453:[刑務所;捕虜収容所]
時代区分・年代 20世紀前半;1916(大正5)年
国名 日本
特定地域 東京;巣鴨
キーワード 監獄の門前;看守
男女別 男性
体の部分 上半身