近代日本の身装文化(身装画像)
説明 沼津御用邸を避寒の目的で訪れる皇后宮を、沿道で奉迎する人。明治十年代、二十年代はまだ年若だった明治天皇は、さかんに国内旅行を試み、天皇を迎えるなどという経験を持たなかった人々は、拝礼の仕方から身に着けるものまでを含めての対応に苦慮、郡役所や県、ときには中央官庁にまで伺いを立て、その回答の指示書なども多く残されている。大正に入ったこの時代になると、だいたいのルールはほぼ周知されている。県などからの指示では一般に、羽織袴、と指示されるが、この時代の人のこだわりは、それが紋付でなければならないことだった。これは老人が、「木綿物でも宜しいから、紋のついたものでもあればよいがなア」とこぼす言葉からもわかる。(大丸 弘)
ID No. A14-010
出典資料 大阪朝日新聞
発行年月日 1914(大正3)年2月16日号 7面
画家・撮影者 幡恒春(1883-1944)
小説のタイトル 真心(1)(1)
作者 田口掬汀(1875-1943)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D017:[男の老人]
Vhao:[羽織]
Vham:[袴(男性)]
Wge:[下駄;クロッグ]
D005:[20~30歳代の女性;年増]
D2hi:[束髪(庇髪など、後期平型の)]
Wkas:[傘]
時代区分・年代 20世紀前半;1914(大正3)年
国名 日本
特定地域 静岡;沼津
男女別 男性;女性
体の部分 全身