近代日本の身装文化(身装画像)
説明 豪雨のため霞ヶ浦が増水、氾濫し、別荘に滞在中の某華族の若様とお姫様の身も危険になったとき、十五になる漁師の娘がふたりの命を救った。そのお礼にと、別荘に招かれた折の娘のいでたち。「晴着と云っても洗い晒しの浴衣、厚ぼったい木綿地の帯を締めて、素足に突っかけの藁草履、老爺(オヤジ)の洋傘(コウモリ)の四つ手網にまがうのを借りて、其の先に苞(ツト)包みの鯉をぶら下げて、(気の)進まぬながら我が家を出た」とあるが、きものの着付けにはふつうの村娘町娘とも、べつに変わったところはなく、強いていえば帯幅の狭いくらい。十五という年なのでまだ肩揚げを持っている。右田年英の相変わらず浮世絵風の顔は、桃太郎のようにも見える。髪型はよくわからないが前髪と鬢(ビン=横髪)と髱(タボ=後ろ髪)の区別があるようなので、一応日本髪風。もちろん人の手を借りてなどいない髪だから、大きくは結えないし、形も歪んで左右不均整だろう。けれども東京のような大都会でも髪結の手にかかる人は半分もいなかったのだから、まして農漁村の女の髪は勝手気ままなもので、名前のつけようのないものだったことは確か。(大丸 弘)
ID No. A10-046
出典資料 東京朝日新聞
発行年月日 1910(明治43)年10月28日号 7面
画家・撮影者 右田年英(梧斎年英)(1863-1925)
小説のタイトル 水晶の家(13)
作者 江見水蔭(怒濤庵)(1869-1934)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D003:[少女(ほぼ女学生の年頃(12~15,16歳))]
D2:[ヘアスタイル]
Vyu:[ゆかた]
D3ob:[帯の締め方;帯の位置]
Vkat:[肩揚げ]
Wkas:[傘]
時代区分・年代 20世紀初め;1910(明治43)年
国名 日本
キーワード 日本髪風;浴衣;お太鼓結び;洋傘;蝙蝠傘;こうもり傘;鯉
男女別 女性
体の部分 上半身