| テーマ | 美容 |
|---|---|
| No. | 225 |
| タイトル | 洋髪 |
| 解説 | 名前としての洋髪とは、単純にいえば洋風束髪が省略されたいいかただった。資生堂の三須裕は最初、欧風束髪と呼び、洋風結髪と言っていた人もあったが、まもなく世の中は洋髪に統一した。歴史家のうちには明治期、すなわち鹿鳴館時代の束髪を、あるいはそれをふくめて洋髪と言っている人もあったが、それは適切ではない。1880、1890年代当時には、束髪を洋髪と呼ぶ習慣は一般的ではなかったから。 洋髪の特色として三須は、ブラシの使用、梳き毛を入れず逆毛をたてる、お湯での癖直しをしない、コテを当てる、の4点をあげた。もっとも重要なのは鏝(こて)―─アイロンの熱で髪にくせをつける、つまりウエーブをつける技術だった。分け前髪の時代から髪型は概していえば単純な、無技巧の方向にむかっていて、髷も小さめになってゆく。その単純な髪に、モダンな美しさを発揮するのがヘアアイロンを使用したウエーブや、カールや、ロールだった。 耳隠しの多くも洋髪だったはず。 耳隠しは欧風の束髪のうちで一番顔をきれいに見せ、前からも横からも丸味をもたせる髪だと思います。 二、三年前までは、耳隠しといえば今のモダンガールにつきもののようにハイカラ視され、それだけ普通の人々の間にはまだまだ異端視されたものでしたが、現在では、洋髪には耳隠しが基礎となって(……)洋髪全盛の時代ですから、自然、耳隠しも重要視せられ、必要視せられるようになってきました。 ただしヘアアイロン(鏝)の使用自体は1920年代よりかなり古い。最初に使用したのは男子理容の分野であるらしく、横浜の芝山兼太郎はフランス人から直接教えを受けて外国人専門に営業していたという(芝山兼太郎『男女ヘアアイロン全書』1925)。 それまでの束髪なら、自分の髪は自分で器用に結ってしまう女性が多かったはずだが、アイロンを扱う技術は素人ではむずかしい。だからウエーブのかかった髪は、商売人の手にかけた証拠になる。熱いアイロンを怖がるお客は多かったが、それは結い手のほうもおなじだった。アイロンを怖がる、あるいは嫌う髪結さんは、「美容院の時代」から脱落した。 もっともアイロン自体は高価なものではないし、バッグの中へ入れて旅行にも持ち歩けた。毎朝勤めの出がけに三面鏡の前で、ちょっと前髪のウエーブをつけ直すような女性もあった。徳田秋声の『仮装人物』(1938)のなかでは、ヒロインの葉子がホテルで、トイレットケースのなかからとりだして、火鉢で温めていたアイロンをつかう場面がある。 熱い鏝の端が思わず首に触って、彼女は飛びあがって絶叫したことがあった。 美容院では専用のガスバーナーでアイロンを熱したが、未熟な助手などがお客の髪の毛を焦がしてしまう事故は、最初のうちよくあったらしい。パーマネントの時代になって、髪がチリチリになったなどと悪口されたが、髪を焦がす危険度はアイロンのほうがずっと大きかったのだ。 古い世代の髪結いたちが時代に取り残された理由のひとつには、洋髪が契機となって、ヘアスタイルが「型」を失っていったためもあろう。この傾向は1900年代(ほぼ明治30、40年代) の束髪の時代にも、すでに認められる。在来型の日本髪は、島田、丸髷、銀杏返し以下、せいぜい10種類くらいのきまった髷さえ覚えておけば、あとは土地柄と、ちょっとした流行と、お客の人柄と好みにあわせて、わずかな工夫が加わるだけでよかった。しかし廂髪(ひさしがみ)の時代には、名の売れている美容師が新聞紙上に、なになに巻、という新しいアイディアを写真つきで提案するようになった。それが洋髪の時代にはいると、そもそもきまった髪型というものが存在しなくなったとさえ言えた。 三須は1928(昭和3)年の著書のなかで、欧風束髪の約束は、一に、自由な髪型であり、二に、ふわりとした柔らかみ、としている(三須裕『お化粧と髪の結び方』1928)。 七三は単に前髪を七分三分に分けるというだけのことであり、耳隠しは単に耳を隠すというだけのことだ。残りの全体については、お客の注文と、アイロン1本を頼りの、結い手のセンスに委ねられる。 1930年代(昭和5年~)になると、お正月でもないかぎり、大都会では街で日本髪を見かけることは本当に少なくなった。たいてい和洋結髪と看板に書いてある美容院のお客にとって、和、というのは束髪のことで、ふつうはハイカラと呼んだから、はじめてのお客は、洋髪ですかハイカラですか、と聞かれた。いつも美容院で髪をしてもらっているのはたぶん半分くらいの女性だったろう。めったに美容院などに行くことのない主婦は、だいたい髪を後頭部でひっつめにまるめていて、なにかよそ行きの、錦紗の訪問着でも着るときにだけ美容院に行く。髪はたいてい長くのびすぎているからすこし切って、洗髪してもらう。 洋髪はなるべく小ぢんまりして、頭が全体から見て小さい方が、丈をすらりと見せ、姿、恰好もよいからです。そこで、毛の多い方は、そこを鋏ですいて取ると形よく結え、又、結う時も早く結えます。 それから鏡の前で若いモダンな美容師さんに、どういたしましょうかと聞かれる。この辺にアイロンをあてて、この辺にカールをつけて、など、【すがた】などの美容雑誌を参考にして、相談しながら、でもちょっとモダンすぎやしないかなどと気遣ったりしながら、自分だけのヘアスタイルをつくる。 大きな鬢や、仰々しい前髪や髱や髷はもう過去のものになって、どこまでも軽快で、すっきりしたスマートさが求められる時代になっていた。アイロンウエーブのあるなしなどよりも、それが洋髪というものだった(→年表〈現況〉1932年2月 「粋でモダンな髪」国民新聞 1932/2/25: 5)。 (大丸 弘) |