近代日本の身装文化(身装画像)
説明 戦争にはかならず新聞社から従軍記者が派遣される。近代日本の最初の海外戦争だった日清戦争(1894年,1895年)でも例外ではない。その中には後年名を残したような文人、正岡子規とか、岡本綺堂のような人も含まれる。太平洋戦争のころから見ると、従軍記者の装備も統制がとれていず、この絵で見るように勝手気ままだったようだ。日清・日露戦争(1904年,1905年)では欧米から観戦武官という人々が派遣されて彼らのレポートも残っているが、記者たちも従軍というより観戦という気分が感じられるのは、両戦争とも日本がつねに優勢であまり危険のなかったためか。この連載は講釈師による戦争講談で、このあとさかんになる講談速記のはしりらしい。講釈師の松林伯知はおそらく猫遊軒伯知のことだろう。この時代に刊行された東京案内『東京百事便』によれば、有名な松林伯圓と並んで新聞講談を得意の読み物としている。(大丸 弘)
ID No. N95-003
出典資料 読売新聞
発行年月日 1895(明治28)年10月7日号 1面
小説のタイトル 平壌包囲攻撃(20)
作者 筑秋散史[立案];松林伯知(1856-1932)[講演]
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D6se:[洋装;西洋化;西洋観;ハイカラ;西洋かぶれ;開化ぶり;西洋憧憬]
Wbo:[かぶり物一般;帽子]
Wkut:[靴;サンダル;靴修理;靴磨き]
時代区分・年代 19世紀終わり;1895(明治28)年
国名 日本
キーワード 従軍記者;男性洋装;中折帽子;中折れ帽子;鳥打帽子;鳥打ち帽子;双眼鏡
男女別 男性
体の部分 全身;坐臥