近代日本の身装文化(身装画像)
説明 〈遡及資料〉吉原で全盛の花魁(オイラン)が祖母の死に目に会うために、前借金を百円増し監守(メツケ)の男に伴われ、遠州沖津の故郷にたどり着いた場面。この時代、鉄道はまだ横浜から先は通じていなかったが、出費を惜しまなければ東海道筋なら人力車の乗り継ぎに不自由なく、また船の便もあった。だから女が、近所に買い物にでも行くような恰好であることはふしぎではない。男は股引の上に脚絆を穿き、草鞋履き。肩に振り分けた荷物が革製らしい鞄になっているのが、帽子とともに開化風。女が花魁というのに似ずひどく前屈みなのは、画家の描き癖なのだろうが、現代の眼から見れば異様。外国人の目にも当時の日本人、とりわけ女性の姿勢の悪さは目についたらしく、さまざまな意見、忠告が残されている(→年表〈現況〉1872年5月 「日本人の姿勢」新聞雑誌 60号 1872年9月)。(大丸 弘)
ID No. N77-006
出典資料 開花新聞
発行年月日 1883(明治16)年7月22日号 2面
小説のタイトル 田丸源吾の続話
資料タイプ 挿絵
身装画像コード H59:[出入り口・窓越しの外の風景]
D5ry:[旅装;旅姿;旅装束]
Wta:[タオル;手拭い;手拭い被り]
Wkas:[傘]
Wbo:[かぶり物一般;帽子]
Wka:[鞄]
時代区分・年代 19世紀後半;1877(明治10)年
国名 日本
特定地域 遠州;静岡
キーワード 花魁(おいらん);娼妓;遊女;女郎;道中被り;道中かぶり;洋傘;蝙蝠傘;こうもり傘;革かばん;振り分け荷物
男女別 男性;女性
体の部分 全身