近代日本の身装文化(身装画像)
説明 〈遡及資料〉日本橋本町辺といえば東京でも代表的な商業地、そこで四間間口で土蔵の二戸前を持つ紙・扇子問屋。画家は約二十五年ほどむかしの町のたたずまいを、記憶と知識とで再現しようとする。四間間口にしてはすこし狭いようだが、その間口の半分近くは裾に重石(オモシ)をつけた幅広の日除け暖簾(ノレン)でふさがれている。朝、大戸を開けると店の外と中を遮るのはこの暖簾だけだった。紺染めの濃い色なので、日射しから商品は守れるが、店内は暗くなる。そのため板ガラスが普及しだすと次第にガラス戸に取って代わり、旧時代の街並の特色のひとつが消えた。裾の重石のない細長い暖簾は長暖簾といい、これを用いるのは江戸では呉服屋、湯屋、髪結床など数種の商売に限られていた。(大丸 弘)
ID No. N77-005
出典資料 都新聞
発行年月日 1904(明治37)年2月6日号 1面
小説のタイトル 実話 悪縁塚(79)
作者 橋本埋木庵(生没年不詳)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード K006:[東京の主要道路]
G01:[店舗 ex.店構え全景,出入りする客,従業員]
D4yu:[郵便配達夫]
G790:[人力車]
時代区分・年代 19世紀後半;1877(明治10)年
国名 日本
特定地域 東京;日本橋
キーワード 日除け暖簾;重石(おもし);大工
体の部分 群像