近代日本の身装文化(身装画像)
説明 正直で融通が利かず、人との交際も避け気味のため、銀行の受付より一向昇進のできない若者、裏長屋で母親との貧しい暮らし。部屋はおそらく四畳半か六畳だろう。大都会でも日露戦争(1904年,1905年)頃までは、照明は石油の洋灯(ランプ)がふつうだった。夜の仕事も読書も、一灯だけのその吊り洋灯の揺らめく光の下に、家族は額を集めることになる。子どももいない家にしては障子の破れが多すぎるようだが、これは貧乏家を表すお約束。息子は、きものの下にYシャツを着ている。勤めに洋服の上衣を着るときもこのシャツのままがふつうだったから、白いはずのYシャツの襟や袖口が汚れていることは、当たり前のようだったらしい。捏(ツク)ね髪の母親はこの時代になってもまだ眉を落としている。古い習俗は、なにごとによらず現状を変えることに臆病な、下層階級のなかに長く残る。(大丸 弘)
ID No. D04-059
出典資料 東京朝日新聞
発行年月日 1892(明治25)年3月19日号 2面
画家・撮影者 右田年英(梧斎年英)(1863-1925)
小説のタイトル 浮沈(5)
作者 幸堂得知(東帰坊)(1843-1913)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード H6:[和座敷一般]
D1me:[眼・眉毛周辺の状態(眼・睫毛・眉の化粧)]
D2:[ヘアスタイル]
Esa:[裁縫;裁縫実習;裁縫用具;ミシン]
時代区分・年代 19世紀終わり;1892(明治25)年
国名 日本
キーワード 裏長屋;貧乏;ワイシャツ;ホワイトシャツ;竪縞のきもの;ちゃんちゃんこ;じれった結び;眉落とし;針仕事;針道具;机;和綴じの本;火鉢;吊りランプ;腰屏風;破れ障子
男女別 男性;女性
体の部分 全身;坐臥