近代日本の身装文化(身装画像)
説明 女性は和装の場合は原則として、股間だけを覆うことはしなかった。洋装の女性や、西洋風の生活様式が増えるにつれ、男性とおなじように股間を覆う習慣が広がった。それをいつから、ということはできないが、婦人用の既製股引の広告は、1900年代(ほぼ明治30年代)に入るころ(明治末頃)にははじまっている。あまり品のよくない連中の会話などには、女房の褌(フンドシ)、などとということばが出てくるが、これは腰巻のことを指している。この絵はかなり特殊な事例で、この下ばきは水練のためのもの、一種の男装になるのかもしれない。下ばきの柄の横段も明治期を通じて、ほかのものはめずらしいくらい、ごくふつうのデザインだった。(大丸 弘)
ID No. C24-007
出典資料 都新聞
発行年月日 1896(明治29)年8月9日号 1面
画家・撮影者 松本洗耳(1869-1906)
小説のタイトル 探偵実話 侠芸者(だてげいしゃ)(98)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D2:[ヘアスタイル]
Pu0:[アンダーウエア]
Pfun:[下ばき;ふんどし]
D0ro:[露出;シースルー]
時代区分・年代 19世紀終わり;1891(明治24)年
国名 日本
キーワード 下穿きの柄;横顔;側面;横座り
男女別 女性
体の部分 全身;坐臥