近代日本の身装文化(身装画像)
説明 〈遡及資料〉挿絵の娘義太夫は本所相生町の寄席の舞台だが、凶賊清水定吉がこの若い芸人の色香に一時迷った――というだけのこと。女の義太夫語りはむかしからあったが、男のように肩衣を着けて舞台に上がったのは1870(明治3),1871(明治4)年以後だったという。なお、娘義太夫の全盛はもう少しあとの1890年代(ほぼ明治20年代)といわれている。肩衣にも袴と同様に謹みの気持ちを示す機能があって、女太夫の肩衣も女学生の袴も、それが着用の最初の目的だったはず。肩衣は江戸時代以後、一般にはほぼ消滅した服種で、祭り装束や、またある期間だけ婚礼や葬礼の装束として残った。「男のいちばん立派な姿は肩衣袴です」と、明治の末頃になって述懐する老女性教育者があった。(大丸 弘)
ID No. C12-056
出典資料 都新聞
発行年月日 1893(明治26)年5月19日号 1面
画家・撮影者 山田年貞(生没年不詳)
タイトル
小説のタイトル 探偵叢話(20):清水定吉(31)
作者
資料タイプ 挿絵
身装画像コード H80:[舞台;各種の高座(平場,客席,土間との対比を含む)]
D4en:[エンターテイナー;芸人]
Vhaf:[袴(女性)]
Jge:[劇場内;芝居見物]
時代区分・年代 19世紀後半;1879(明治12)年
特定通称名
国名 日本
特定地域 東京;本所相生町
キーワード 幕;女義太夫;肩衣袴;三味線;書見台;蝋燭;燭台;湯呑茶碗;観客
男女別
体の部分 全身;上半身;坐臥;群像
関連情報
著作権情報
備考