近代日本の身装文化(身装画像)
説明 明治の末に男の子の外出着といえば、絣のきものに小倉の袴、学生帽に腰の手拭い、というスタイルが決まっていた。加えて身体をすっかり覆ってしまう釣鐘型のマントは、中学校の高学年以後ならたいていは持っていた。釣鐘マントは将校マントという言葉があるように、尉官以上の軍装として街頭でも眼についたが、弊衣破帽、あるいは弊衣破袴を見栄のようにして天下を睥睨していた旧制高校生の衣裳としての方がよく知られている。そのため若者にそういう昂ぶりや力みのなくなった第二次大戦後は急速に衰えた。戦後の欧米では釣鐘型マントは男性より女性に好まれて、それが日本のファッションにも影響している。また、このかたちのゴム製の雨合羽は、1920年代から学童の間に普及していた。(大丸 弘)
ID No. A10-027
出典資料 東京朝日新聞
発行年月日 1910(明治43)年1月25日号 7面
小説のタイトル 空中の人(65)
作者 江見水蔭(怒濤庵)(1869-1934)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D013:[少年(ほぼ中学生の年頃(12~15,16歳))]
D4ga:[学生・生徒(男子中学生以上)]
Wbo:[かぶり物一般;帽子]
Qkas:[絣]
時代区分・年代 20世紀初め;1910(明治43)年
国名 日本
キーワード 学生帽;飛白;釣鐘型のマント
男女別 男児
体の部分 上半身