| テーマ | 装いの周辺 |
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| No. | 004 |
| タイトル | 生活水準の向上 |
| 解説 | 近代80年、衣生活の変化のもっとも大きな理由のひとつは、日本人が経済的に豊かになったためであることは疑いない。 個々人の豊かさの基盤には、日本の国全体が豊かになったことがあるが、国の豊かさを機械的に国民ひとりひとりの豊かさとして表現する方法に、粗国民生産(一般には国民総生産といわれる)GNPを人口で割った、ひとりあたりのGNPを比較する方法がある。よく利用されているイギリスの経済学者アンガス・マディソンの試算では、日本の1870(明治3)年は737であるのに対し、1940(昭和15)年は2,874であり、3.89倍になっている。737というような数字はドル換算したものだが、ここでは単なる指数とみなしておけばよい。 GNPとはちがう視点としては、粗国民支出を市場価格で見た一橋大学・大川一司グループの研究によると、実質価格で1940(昭和15)年は1885(明治18)年の5.95倍になる。 可処分所得が大きくなれば、ほかの費目とともに衣生活も質が向上し、ヴァラエティ豊かになる。それは当然のことだが、ただしひとつには衣料費の独自性という問題があるはずだし、もうひとつは80年というスパンのなかでの推移の様相もおさえておかなければならないだろう。 GNPとともに重要な指標であるPC(個人消費支出)は、巨視的にはGNPと平行的なグラフ線を描く。このふたつの数値の近代80年における大きな山は2回あった。1回目は1910年代(ほぼ大正前半期)の第一次大戦期であり、2回目は第二次大戦へと向かっていく1930年代(昭和前半期)だ。ただしこの2回目の上昇期はGNPの大きな高まりに比べると、PCのほうは控え目で、20年代末の世界恐慌による不況からの回復という程度ともいえる。 消費支出の具体的内容についても、食料、衣服、住居といった大まかな枠のデータがある。1910年代の消費ブームに際して、一番反応が早く、大きな伸びを見せたのが衣料支出だった。それは1930年代の場合も変わらない。また20年代末の不況に際しても衣料費食費の落ち込みは大きく、当然のことながら住居費は好不況にはあまり関わりのない線を描いている。月給が上がってまず欲しいものは、「わたしはパラソル買いたいワ、ぼくは帽子と洋服だ」(林伊佐緒作詞・作曲「もしも月給が上がったら」1937)ということになるのだろう。 衣生活の推移にこのふたつの消費景気の山を重ね合わせてみると、第1回は関東大震災前の贅沢の加速した時期であるとともに、とくに都会地において、子どもの洋服化がいちじるしく進行した時期だった。また1930年代後半(昭和10年代前半)の第2回の山は、職業婦人を中心に、これも都会での女性の洋装が定着していった時期と重なる。 個人消費支出中での項目別の割合には興味ある事実が示されている。1874(明治7)~1888(明治21)年を最初期とし、1931(昭和6)~1940(昭和15)年を最終期として、消費支出総額の中に占める食料費の割合(エンゲル係数)は、最初期の65.7パーセントから最終期の49.5パーセントに減っている。これに対して衣料費は7.8パーセントから12.9パーセントへと約65パーセント上昇している。食料費、交際費、光熱費以外の項目は上昇しているが、衣料費の上昇幅は、交通・通信費、住居費、教養・娯楽・教育費、保健衛生費を下回っている。交通・通信費が0.3パーセントから4.2パーセントへと極端に増えているのは、急激な工業化、都市化のため、と分析されているが、江戸時代には大衆は歩く以外の交通手段をもたなかったのだ。 消費支出総額中に占める衣料費の比率の伸びが案外低い数字なのは、江戸時代から明治にかけての衣服の価格が高かったということが大きな理由だろう。衣料費の場合、うえに示した65パーセントという上昇比率は当年価格による比較であって、もし物価上昇を考慮して実質価格での割合を比較すると、最初期は3.0パーセント、最終期は12パーセントへと、4倍の急上昇を示している。これは衣料品の価格指数の上昇が、全体の価格指数の上昇を下回っていたことの結果だ。 明治時代でも、きものや帯は通貨並みの財産であって、また事実換金もしやすかった。急に金の要り用があったとき、よそ行きの2、3枚も抱えて質屋に走ることは、かなりの暮らしをしている人にも経験があったようだ。空き巣でも強盗でも狙うのは箪笥や行李の衣類だったし、追剥ぎの被害も多かった。明治時代の新聞を見ると、寒中に行倒れた人が、丸裸に剥がれて翌朝凍え死んで発見されたとか、猿回しが賊に出逢い、猿だけは勘弁してくれと頼んだところ猿の着ていたちゃんちゃんこを剥ぎ取っていった、という記事がある。 それに対して1931~1940年という期間は、安い既製服の普及など、「戦前の軽工業を中心とした工業化が消費構造の面に投影された一つの重要な帰結だといわねばならない」(篠原三代平『長期経済統計 推計と分析 第1章 個人消費支出の変動(1874~1940)』1967)と、衣服はもう財産とはいえない時代になっていた。 (大丸 弘) |