標本番号 | H0254009 |
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標本名 | バッジ(毛沢東) |
収集者 | 韓敏 |
収集地 | 瀋陽市 |
収集状況 | 骨董品店 |
用途・使用方法 | |
使用者 | |
制作地 | 遼寧省丹東市 |
制作者 | |
制作年代 | 1966-69年 |
製作法・材料 | アルミニウム |
収集年度 | 2008 |
表面文字 | 老三篇万歳 為人民服務 毛沢東 紀 山 |
表面文字の説明 | 「老三篇」とは、毛沢東が書いた「為人民服務」「紀念白求恩」と「愚公移山」の三本の論文のこと。文化大革命の時期から全国的に広く学習されはじめた。当時の小学校では、授業が始まる前に、生徒たちが起立して、上記3つの論文のいずれかを暗唱することがよくあった。 「為人民服務」(人民に奉仕する)は1944年9月8日に書いた論文。「為人民服務」は共産党中央警備連隊の兵士張思徳(1915-1944)が 1944年9月5日陝西省北部の山中で炭焼き作業中,炭焼き窯がくずれて死んだため,9月8日その追悼集会において、毛沢東が「為人民服務」というテーマの講話を行った。全文は688文字。 毛沢東の自筆 「紀」は、「紀念白求恩」(ベチューンを記念する)の論文のこと。ノーマン・ベチューン(Henry Norman Bethune、白求恩 1890-1939)はカナダ人の外科医、カナダ共産党員である。日中戦争中の 1938年初期から 39年 11月まで八路軍の傷病者の治療と看護に献身的な奉仕を続けて、空爆中の手術を行った際に怪我をして破傷風で亡くなった。彼の死後、毛沢東は「紀念白求恩」を発表し、彼の国際主義による無私の活動を高く評価した。 「山」は「愚公移山」(愚公,山を移す)のことである。「愚公移山」は、中国の戦国時代の典籍『列子』湯問編に載せられた寓話である。毛沢東は1945年6月にこの話を演説で引用し、日本と中国国民党政権を二つの山に、中国共産党を愚公に喩え、どんなに敵が強力に見えても、我々が山を崩し続ければ、天帝にあたる中国人民は我々を支持してくれるのだと訴えた。 |
表面文様 | ひまわり |
表面文様の説明 | 毛沢東に忠誠を尽くすことを意味する。ひまわりの茎の上部は、成長期に、太陽を追いかけることから、ひまわりは当時忠誠心を象徴する植物としてよくバッジのデザインに使用された。 |
裏面文字 | 毛主席万歳、万々歳! 丹 紅旗 |
裏面文字の説明 | 毛沢東万歳は当時はやっていたスローガンである。 「丹」とは、遼寧省丹東市のこと。 「紅旗」とは、バッジを製造した工廠、あるいは組織の略称。 |
裏面文様 | |
裏面文様の説明 | |
参考文献 | Schrift Melissa 2001 Biography of a Chairman Mao Badge: The Creation and Mass Consumption of a Personality Cult.New Brunswick, NJ: Rutgers University Press. Wang, Helen 2008 Chairman Mao Badges: Symbols and Slogans of the Cultural Revolution. British Museum Research Publication No.169. British Museum Press. 韓敏 2014「毛沢東バッジの語りと活用」武内房司、塚田誠之編『中国の民族文化資源―南部地域の分析から』 pp.25-62 東京:風響社。 宋一凡 1993『毛沢東像章珍品集』成都:四川人民出版社。 |
その他 | |
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