近代日本の身装文化(身装画像)
説明 甲州・鰍沢(カジカザワ)の小料理屋の酌婦。この日の本文は、去年の暮れの二十八日に、樵夫(キコリ)稼業の若者の身なりに同情したこの女が、寒いから着ておいでと襯衣(シャツ)をくれた、その思い出である。その晩若者は褞袍(ドテラ)一枚で震えていた、という。襦袢の上にきものを重ね、帯を締めて羽織を着る、といった呉服屋のお見立てのような衣裳付けの通用しない衣生活もある。山国の冬は冷え込む。たぶん博打で着ているものをすっかり剥ぎ取られても、さすがに薄綿の入った褞袍一枚だけは残したに違いない。また、樵夫のような仕事は、褌(フンドシ)の上に褞袍を着て三尺でも荒縄でも腰に締めれば、それで用は足りるのだ。「女の呉れた襯衣は白粉の残り香がついていたので、それから一度も洗わずに着ている」という。襯衣(シャツ)というだけであるとこの時代、具体的にどんな衣料を指しているのかよくわからないが、女性が、それも田舎の酌婦が、当時の裁縫書に紹介されているようなシャツ、前釦やカラー、カフスのある洋風のシャツを着ることは考えられないから、おそらく半襦袢をこう呼ぶ場合があったのだろう。(大丸 弘)
ID No. N98-005
出典資料 都新聞
発行年月日 1898(明治31)年5月4日号 1面
小説のタイトル 霞富士(1)
作者 遅塚麗水(1866-1942)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D2ni:[日本髪一般]
D1ka:[髪飾り(櫛,簪,リボン)]
Vhan:[半襟]
Vka:[掛襟]
時代区分・年代 19世紀終わり;1898(明治31)年
国名 日本
キーワード 黒襟;竪縞のきもの
男女別 女性
体の部分 上半身