近代日本の身装文化(身装画像)
説明 新聞雑誌の挿絵でも舞踏場の情景を描いている例は少ない。それはなにより小説の作者にも挿絵画家にも実際のその知見がなかったためだろう。欧米の女性ファッションのこの時期はバッスル・スタイルの最盛期だったから、舞踏場の各国外交官夫人も、それを一生懸命に真似た日本の貴女たちも、そう大きなまちがいもなくこのスタイルに描かれている。幕末開港期に横浜辺りを散策する外国女性にはまだ大きなクリノリン・スタイルが見られるから、それが鹿鳴館の時代まで続かなかったのは日本の貴婦人たちにとっては幸いだった。絵が小さいため、踊っているのが日本人なのか欧米人なのか区別できないが、明治中期の帝国ホテルなどでの公的舞踏会などよりは、ダンスする日本女性は多かったらしい。それはこの時期、貴婦人を対象とする計画的なレッスンがおこなわれたためだろう(→年表〈現況〉1884年 「舞踏の練習」郵便報知新聞 1884年10月30日 2面)。左端には袿袴姿で踊る女性の姿もある。この二年前に女性の礼装の規定が公布され(→年表〈事件〉1884年 「婦人服制」宮内省内達 無号 1884年9月17日;宮内省内達 無号 11月15日)、そのなかでは「褂、袴、垂髪のそれまでの宮女の装束が正装となり、西洋服を用いることも許される」となっている。(大丸 弘)
ID No. N86-001
出典資料 改進新聞
発行年月日 1886(明治19)年6月12日号 2面
小説のタイトル 雨牕漫筆 緑簑談(りょくさだん)(3):歌吹の台(うてな)(中)
作者 須藤南翠(南翠外史)(坎坷山人)(彩幻道人)(1858-1920)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード H810:[会議・儀式・祝宴・パーティーのための広間]
Jenk:[宴会;舞踏会;パーティー(大規模な)]
Jda:[(社交)ダンスをする人々]
D6se:[洋装;西洋化;西洋観;ハイカラ;西洋かぶれ;開化ぶり;西洋憧憬]
Vhaf:[袴(女性)]
D1hi:[ひげ]
時代区分・年代 19世紀後半;1886(明治19)年
キーワード バッスルドレス;バッスルスタイル;袿袴(うちきばかま);燕尾服;口髭;群衆
男女別 男性;女性
体の部分 全身;群像