近代日本の身装文化(身装画像)
説明 西南の役における、官軍と西郷軍との標準的軍装。伝聞によったものだが最近現地で撮影した写真もこれと変わりないと断っている。賊軍、すなわち西郷方は薩摩絣の単衣に兵児帯、襷掛けで脚絆草鞋(ワラジ)だから、軍装というより旅装束。官軍は長袖のジャケットの肘から先を切り落とし、白いズボンも膝の上で切り落としている。ただし、そういう処置をしたのが、この報道の7月末以前のいつだったかは不明。2月半ばにはじまったこの戦役の主要な戦闘は4月までで終わっていた。政府軍は夏服の補給が間に合わなかったということだろうか。両軍に共通するのは草鞋がけであること。戦争を当て込んでの製靴事業も始まっていたが、この時代の国産の靴の品質は劣悪で、とても長時間履けるようなものではなかったらしい。日清戦争(1894年,1895年)のときでさえ、陸軍省はマニラ麻製の軍用草鞋の製作を考えていた(→年表〈現況〉1894年7月 「軍用草鞋」東京日日新聞 1894年7月15日3面)。各新聞社の特派員はほぼ例外なく脚絆草鞋がけだった(→年表〈現況〉1894年10月 「旅装」東京日日新聞 1894年10月13日10面)。(大丸 弘)
ID No. N77-003
出典資料 東京絵入新聞
発行年月日 1877(明治10)年7月27日号 2面
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D4gu:[軍人;武人;騎士]
D5ry:[旅装;旅姿;旅装束]
Vtas:[襷]
Wzo:[草履;草鞋]
時代区分・年代 19世紀後半;1877(明治10)年
国名 日本
キーワード 西南戦争;官軍;西郷軍;軍装;襷掛け;わらじ
男女別 男性
体の部分 全身