近代日本の身装文化(身装画像)
説明 日本橋通油町の糸屋の小僧が、吹き降りのなか、鉄砲洲まで大荷物の届け物の使いにやらされた道で、胡乱(ウロン)な男と道連れになる、という場面。十二歳の小僧はまだ奉公して間がないだろう。男の子のきものといえば絣に決まっていたような時代だが、商家の奉公人の仕着せは縞物。雨降りなので高下駄を履き、裾を高くまくっている。店の名の入った番傘は連れになった男が親切ごかしに持っている。「月代(サカヤキ)を伸ばし布子(ヌノコ)の上に紺がすりの単衣を着て脚絆に草鞋(ワラジ)」とあって旅をしてきた姿。布子というのは木綿の綿入れのきもので、貧乏人は冬を通してこれ一枚、ということも多かった。男はそのたぶん藍色の布子を肌つきに(下の襦袢なしに)着ているのだろう。この時代、貧しい人は入浴は頻繁にしても肌につくものを滅多に洗濯せず、白い下着や裏地を用いなかったのはそのせいもある。その不衛生さを指摘する意見がいくつかある。(→年表〈現況〉1874年3月 岸田吟香「養生小言」東京日日新聞 1874年3月6日1面;→年表〈現況〉1875年5月 「投書―肌着の洗濯」読売新聞 1875年5月30日2面)がある。(大丸 弘)
ID No. N77-001
出典資料 東京絵入新聞
発行年月日 1877(明治10)年4月4日号 2面
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D013:[少年(ほぼ中学生の年頃(12~15,16歳))]
Wge:[下駄;クロッグ]
Wkas:[傘]
Wkya:[脚絆;脛覆い]
D3su:[裾;褄;端折り;からげ]
D2ch:[丁髷]
D2ot:[男の髪型]
時代区分・年代 19世紀後半;1877(明治10)年
国名 日本
特定地域 東京;日本橋
キーワード 高下駄;番傘;尻端折り;斬髪;散切り
男女別 男性;男児
体の部分 全身