近代日本の身装文化(身装画像)
説明 〈遡及資料〉客待ちの車夫同士の喧嘩に、通りがかりのこれも車夫の男が仲裁に入っている。明治初年は人力車夫はだれにもとりつきやすい職業だったために、車の数が過剰気味だったようだ。空手で地方から上京した若者が、車宿に一日分の車の借り賃である歯代を払いさえすれば、喰ってゆくだけの実入りはあり、そのため客の獲得競争は熾烈で、車の溜まり場を通る女性は怖いくらいだったらしい。1871(明治4)年以後、人力車に対する規制はいろいろあったが、1881(明治14)年の〈人力車取締規則〉が公布されるまでは、客が二の足を踏むような不潔な車もあり、車夫たちの身なりもまちまちだった(→年表〈事件〉1883年4月 「警視庁より人力車組合への口達」東京日日新聞 1883年4月5日3面;→年表〈事件〉1883年5月 「近頃の人力車夫」読売新聞 1883年5月16日1面)。(大丸 弘)
ID No. N75-004
出典資料 絵入自由新聞
発行年月日 1886(明治19)年6月3日号 3面
小説のタイトル 夢の浮橋(44)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D4ji:[人力車夫]
Wta:[タオル;手拭い;手拭い被り]
Whac:[鉢巻;ヘッドバンド]
G790:[人力車]
時代区分・年代 19世紀後半;1875(明治8)年
国名 日本
キーワード 道行;ねじり鉢巻き
男女別 男性
体の部分 全身