近代日本の身装文化(身装画像)
説明 〈遡及資料〉もと御家人の娘が、悪人の手にかかって吉原に売り飛ばされ、全盛の花魁(オイラン)の妹分として廓(クルワ)のしきたりも身につき、源氏名も与えられ、いよいよ明日は客を取らなければならないという前の晩、「幸い此の身は未だ花魁姿となりにしもあらねば廓を忍び出でたとて人に怪しまるる気遣いはない」と、混雑に紛れて廓抜けし、吾妻橋で大川に身投げする。花魁すがたではないと言いながら、髷は素人娘には見えないくらい大きく膨らませ、帯も後ろで結んでおらず、きものの前は帯下から開いて裾を後ろに長く引いている。はたしてこの姿で人に見とがめられず、吾妻橋まで来られるものだろうか。(大丸 弘)
ID No. N73-005
出典資料 都新聞
発行年月日 1904(明治37)年1月12日号 1面
画家・撮影者 富岡永洗(藻斎永洗)(1864-1905)
小説のタイトル 実話 悪縁塚(55)
作者 橋本埋木庵(生没年不詳)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D2ni:[日本髪一般]
Vka:[掛襟]
時代区分・年代 19世紀後半;1873(明治6)年
国名 日本
特定地域 東京
キーワード 花魁(おいらん);娼妓;遊女;女郎;大きな髷;黒襟
男女別 女性
体の部分 全身