近代日本の身装文化(身装画像)
説明 〈遡及資料〉もと旗本の若者が武士の商法で小間物屋の見習いをはじめた。この日の本文末に、「この頃より施行せられし郵便にて」、むかしの女に手紙を出した、とある。近代郵便のはじまったのはこの年の4月だった。この主人公は剣の腕が立ち、そのことから運命が変転してゆくのだが、そういう人物であれば、髷を落とし、丸腰で、小間物の荷を担いで旦那の出勤したあとの官員さんの家に入り込み、奥さんや女中を相手に愛想を言う、などという暮らしはつらかったろう。このころはまだ廃刀令以前の、佩刀脱刀は勝手という時期で、翌1872(明治5)年の新聞には「刀不可廃論」(→年表〈現況〉1872年11月 「投書―廃刀反対」東京日日新聞 1872年11月4日2面)などという文章を投稿する硬派もいた。向こう側に芥子(ケシ)坊主頭の小さな子の手を引いている子守っ子がいる。ねんねこ半纏で着ぶくれた子守女はまだ十歳にもならないかもしれない。この年頃の少女は子守として重宝され、男の子に比べて女の子の就学率の低い大きな原因になっていた。それで大都市でも、背中に赤ん坊を負ぶったままの通学を許す学校さえあった。子守っ子は、子守被りに、手拭いを頭に巻いている。(大丸 弘)
ID No. N71-004
出典資料 都新聞
発行年月日 1903(明治36)年12月23日号 1面
小説のタイトル 実話 悪縁塚(39)
作者 橋本埋木庵(生没年不詳)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード Jko:[子守り;子守っこ]
Wta:[タオル;手拭い;手拭い被り]
Vhat:[半天;どてら]
Vka:[掛襟]
D002:[女の子(小学生くらい)]
D2:[ヘアスタイル]
D000:[乳児;赤ん坊]
時代区分・年代 19世紀後半;1871(明治4)年
国名 日本
キーワード 小間物屋;子守被り;子守かぶり;ねんねこ半纏;黒襟;稚児髷
男女別 男性;女児
体の部分 全身