近代日本の身装文化(身装画像)
説明 〈遡及資料〉勧農局という役所に勤めるもと士族の男。四谷辺を通りかかると、料理屋の門口で女に声をかけられる。女は芸者上がりで今はこの家の女中。男とは芸者時代の昔なじみ。男はこのとき勤め帰りではなかったが恰好は同じだろう。黒紋附の羽織袴にのめりの下駄を履き、山高帽子を被ってステッキを突いている。設定の1868(明治元)年では勧農局はおろか新政府の体制自体がまだできあがっていなかったから、御役人様のこの姿はもう数年後のことになる。料理屋の軒灯もすこし早すぎる。明治初年の紳士がステッキを好んだいちばんの理由は、当時、来朝の欧米人のほとんどが、髭を蓄えていたのと同じくらいステッキを突いていたためだろう。「前屈みがちの日本人に比べ異人の背中のピンとしているのはステッキを突く習慣のせいだ」(→年表〈現況〉1872年9月 「日本人の姿勢」新聞雑誌 1872年9月)という論評さえあった。料理屋の女中は前垂れ掛けで、塗りの駒下駄を履いている。(大丸 弘)
ID No. N68-002
出典資料 改進新聞
発行年月日 1885(明治18)年4月16日号 3面
画家・撮影者 歌川豊宣(香蝶楼豊宣)(1859-1886)
小説のタイトル 梅花名誉(2)
作者 佐倉叟春江(生没年不詳)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード Wbo:[かぶり物一般;帽子]
Vhao:[羽織]
Vham:[袴(男性)]
Wtu:[杖;ステッキ;松葉杖]
Wge:[下駄;クロッグ]
時代区分・年代 19世紀後半;1868(明治元)年
国名 日本
特定地域 東京;四谷
キーワード 官吏;山高帽子;羽飾り;黒紋付き羽織;のめり下駄;料理屋の女中;前垂れ;塗りの駒下駄
男女別 男性;女性
体の部分 全身