近代日本の身装文化(身装画像)
説明 横浜を舞台にしたものがたり。開港後、関東大震災までの横浜は東京に対しても先進都市という部分が残っていた。そのわりに横浜を舞台にした文学作品が少ないのは、画家や文人のこの地に住む人があまりなく、文化的方面の遅れもあったためか。横浜といえばチャブヤ女や、南京町の妖しげなシナ娘、波止場労働者の街、という認識もあった。いま金を手渡そうとしている男は、奇妙な帽子に二重廻し。その二重まわしは黒紋附の羽織袴の上から羽織っている。男性の紺付羽織袴は日常的にはだんだん見る機会がなくなってきて、大神宮さんのお札(フダ)配り、などと陰口されるくらいになっていた。横浜では伊勢山皇大神宮が総鎮守で、一年に一回神職がお札とお供物の小さな打菓子を持って、奉納金を集めに市内の家庭全部、といってもたいていは商店などを廻って歩いた。そのときの恰好はかならず羽織袴だった。もちろん横浜にかぎったことではない。挿絵の男は職業的といってよい詐欺師で、この種の男はやはり常時羽織袴式恰好をしているものだ。(大丸 弘)
ID No. N15-002
出典資料 時事新報
発行年月日 1915(大正4)年3月12日号 8面
小説のタイトル 赤潮(51):掃部山(かもんやま)(2)
作者 山崎紫紅(1875-1939)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード Wbo:[かぶり物一般;帽子]
Vwa:[男性和装外套]
Vhao:[羽織]
Vham:[袴(男性)]
時代区分・年代 20世紀前半;1915(大正4)年
国名 日本
特定地域 神奈川;横浜
キーワード 詐欺師;[インバネス;トンビ;鳶(とんび);二重回し;二重廻し;二重外套;二重マント];黒紋付き羽織
男女別 男性
体の部分 全身