近代日本の身装文化(身装画像)
説明 青森県の日本海岸、当時はまだ寒村といってもよかった浅虫から東京の上野に出てきた人々。「ただ呆気に取られてめまぐるしい都の街を眺めた。人力車、自転車、自動車、電車、その間を巧みに駆け抜けてゆく人々の敏捷(スバシコ)さ(……)」。挿絵は上野駅から広小路方面にかけての鳥瞰だろう。馬車の時代は終わっていたが、バスの運行は関東大震災後の1924(大正13)年からなので、1910年代のこの頃は市内電車が市内交通の王者だった。電車は便利で安く、山の手や郊外方面から下町の商業地区に買物や遊覧の人の足が繁くなったのも、市内電車のおかげだった。ただしその市電はいつも混んでいて、また安全地帯の地面から電車の床までの段差が大きく、きものの女性には難儀だった。また、馬車こそ少なくなったが、貨物運搬用の馬力と呼ばれる、一頭の馬の挽く荷車の数はかなり多く、そのほか郊外から出てくる牛車、人の引いている大八車やリヤカーと、形もスピードもヴァラエティのある車のたぐいが右往左往していたことになる。(大丸 弘)
ID No. N14-002
出典資料 読売新聞
発行年月日 1914(大正3)年12月10日号 6面
小説のタイトル 鳩の家:幼な顔(15)
作者 佐藤紅緑(1874-1949)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード G3:[駅舎;空港]
G70:[電車;汽車]
時代区分・年代 20世紀前半;1914(大正3)年
国名 日本
特定地域 東京;上野〜広小路