近代日本の身装文化(身装画像)
説明 新郎新婦の写真で、著名人だったから二,三の新聞に掲載された。挙式は日比谷の大神宮、その続きに新橋の花月で披露宴を催した。この手順はすっかり現代の標準になっているが、ただ新婦がいわゆる婚礼衣裳でない点が異なる。裲襠をほぼ決まって着るようになったのは第二次大戦後のことで、それまでは花嫁衣裳でもっとも目立つのは角隠しだった。しかし日本髪から束髪に、女性の髪型が大きく舵を切ったとき、当然束髪の花嫁が現れ、然し当時の廂髪(庇髪)(ヒサシガミ)に角隠しは奇妙だったから、この写真のような結婚写真が生まれた。物足りないというためか、当時流行だったヴェールを被った花嫁も多い。(大丸 弘)
ID No. E16-012
出典資料 横浜貿易新報
発行年月日 1911(明治44)年9月5日号 8面
画家・撮影者 須藤宗方(生没年不詳)
小説のタイトル 縺れ糸(もつれいと)(16)(7)
作者 渡辺霞亭(黒法師)(緑園)(朝霞隠士)(無名氏)(匿名氏)(1864-1926)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D6se:[洋装;西洋化;西洋観;ハイカラ;西洋かぶれ;開化ぶり;西洋憧憬]
Wkub:[首飾り;ネックレス]
時代区分・年代 20世紀前半;1911(明治44)年
国名 日本
特定地域 東京
キーワード 新郎新婦;花嫁花婿;立ち襟;スタンドカラー;タキシード;椅子
男女別 男性;女性
体の部分 上半身;坐臥