近代日本の身装文化(身装画像)
説明 篤志看護婦たち。日清日露の両役においては、民間人のボランティアである篤志看護婦が活躍した。戦場が近く、西日本の病院に多くの戦傷兵が後送されたためもある。とりわけ皇族方をはじめ、上流社会の女性達による篤志看護婦会の発足は、看護婦全体のイメージを上げるのに役だったといわれる。もちろん、必要な教育、訓練を受けたうえでの採用だったから、ただ病人の話し相手をしているような、きれい事だけではすまない医療行為に加わる人も多かった。また本文中の会話にもあるように、夫や近親者の出征や戦傷が動機になっている人もあった。篤志看護婦の恰好は一般の看護婦と変わりないが、篤志看護婦会の襟章が見えることが多い。(大丸 弘)
ID No. E06-003
出典資料 報知新聞
発行年月日 1895(明治28)年3月31日号 1面
画家・撮影者 鈴木華邨(1860-1919)
小説のタイトル 旭日桜:物思ひ〈ハテ我ながら〉
作者 村井弦斎(1863-1927)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D4is:[医師;看護婦;病人の世話をする人]
D5se:[制服(職場);仕事着(軽作業);事務服]
D2so:[束髪(前期縦型の)]
Wkut:[靴;サンダル;靴修理;靴磨き]
時代区分・年代 19世紀終わり;1895(明治28)年
国名 日本
キーワード 篤志看護婦;制服;上げ巻
男女別 女性
体の部分 全身
関連情報 D07-076, D07-099, E06-003