近代日本の身装文化(身装画像)
説明 廓(クルワ)の花魁(オイラン)の部屋の情景。花魁が上から羽織っている大柄のきものは正式には裲襠(ウチカケ)と言って、花嫁の打掛けと同じだが、吉原ではふつう「しかけ」と呼んでいた。髪は丸く結んで大きく高く盛り上げる。花魁の髪はほんらい横兵庫・立兵庫の系統だったが、髷を大きく膨らますためにたくさん入れる赭熊(シャグマ)の毛から、この髪を赭熊と呼ぶようになる。『東京風俗志』によると明治中頃、一時的だが少女の間にこの髪型が流行したことがあるそうだ。(大丸 弘)
ID No. D11-011
出典資料 大阪毎日新聞
発行年月日 1899(明治32)年2月28日号 6面
画家・撮影者 阪田耕雪(坂田耕雪)(1871-1935)
小説のタイトル 心中二つ巴(44)
作者 広津柳浪(1861-1928)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D2ni:[日本髪一般]
Vuc:[打掛]
H32:[娼婦の(本)部屋]
時代区分・年代 19世紀終わり;1899(明治32)年
国名 日本
特定地域 東京;吉原
キーワード 遊廓;花魁(おいらん);娼妓;遊女;女郎;赭熊髷(しゃぐままげ);赤熊髷;仕掛け(しかけ);裲襠(うちかけ)
男女別 男性;女性
体の部分 全身;坐臥