近代日本の身装文化(身装画像)
説明 〈遡及資料〉江戸時代、小商人や職人の子どもは十二,三になるとほぼ例外なく奉公に出された。明治と改まってもこの風習はそう急には廃れなかった。時代は1871(明治4)年,1872(明治5)年、母親に連れられて奉公先の靴屋の暖簾をくぐろうとする少年。着替えを入れた小風呂敷ひとつを背負って、うなだれて母親のあとについている。小僧としての年季は職種によってちがうが、十代の使用人には給金はないのがふつう。そのかわり衣食住すべては保証される。しかしこの話のように、年季証文と引き換えに三十円の金を親が受けとるというのはめずらしく、子どもを嫌っていた母親が飛びついたのは無理がない。革靴の製造はもちろん明治の新商売のひとつで、ずいぶん沢山の人が手を染めたらしいが成功者は少なかった。明治も二十年代後半の日清戦争(1894年,1895年)で、多くの兵隊が革靴より草鞋の方を望んだのも、長時間はとても履いていられないような靴が多かったためという。(大丸 弘)
ID No. D10-079
出典資料 報知新聞
発行年月日 1898(明治31)年8月20日号 1面
画家・撮影者 鈴木華邨(1860-1919)
小説のタイトル 捨子の出世(14)
作者 長野楽水(生没年不詳)[編];村井弦斎(1863-1927)[閲]
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D2ma:[丸髷]
D1ka:[髪飾り(櫛,簪,リボン)]
Vka:[掛襟]
Wmae:[前掛;エプロン;割烹着]
Wge:[下駄;クロッグ]
D013:[少年(ほぼ中学生の年頃(12~15,16歳))]
Vob:[帯]
Wzo:[草履;草鞋]
Wfu:[風呂敷(包み);布包み]
時代区分・年代 19世紀後半;1871(明治4)年;1872(明治5)年
国名 日本
キーワード 靴製造所の旗;簪;竪縞のきもの;黒襟;前垂れ;小町下駄;角帯;わらじ;風呂敷包み
男女別 女性;男児
体の部分 全身