近代日本の身装文化(身装画像)
説明 役者は鬘(カヅラ,カツラ)を被るために大きな髷をつくることはできない。男女とも髷を結っていた江戸時代には、そのため役者は特殊な髪を結っていた。それが楽屋銀杏とか、鬘下(カヅラシタ)髷とかいうもの。明治になって男が散髪になるとその必要もなくなったので、楽屋銀杏は女役者だけのものになる。事例を見ると形はかならずしも一定ではないが、銀杏返しの変形が多いようだ。銀杏返しという髪型が、もともと平べったい形のものだからだろう。帝劇女優ができるまで女の役者がいなかったわけでは決してない。1889(明治22)年の東京府の調査では、男役者が 2,056人、女役者が317人、とある(→年表〈現況〉1889年1月 「諸芸人 其筋に於て調査せし昨年十二月廿八日府下現在諸芸人の数ハ左の如くなり」都新聞 1月6日3面;朝日新聞 1889年1月6日4面)。(大丸 弘)
ID No. D10-027
出典資料 東京朝日新聞
発行年月日 1898(明治31)年4月12日号 6面
画家・撮影者 笹井英昭(生没年不詳)
小説のタイトル 楽屋銀杏(60)
作者 武田仰天子(1854-1926)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D4en:[エンターテイナー;芸人]
D2:[ヘアスタイル]
D2ic:[銀杏返し]
Vhao:[羽織]
D0kes:[化粧品;化粧道具]
時代区分・年代 19世紀終わり;1898(明治31)年
国名 日本
キーワード 女役者;銀杏返しの変形;竪縞のきもの;黒紋付き羽織;座布団;火鉢;火箸;鏡台
関連情報 D10-018, D10-026, D10-027