近代日本の身装文化(身装画像)
説明 毛布は開国当初から、蝙蝠傘とおなじようにわが国への普及のもっとも早く、また広がった舶来品だ。たいていの舶来品は、沿岸地帯の大都会はともかく、地方の辺鄙な土地への浸透には時間がかかるものだが、毛布が明治初年にはもう、田舎者の姿のシンボルのように考えられていたというのだから、はじめから便利なものとして、よほど喜ばれていたのだろう。そうした車夫のひとりが、図々しくもその恰好のまま人の家に入ってきた有様。呆れたこの家の主婦が、「お前さんのなりは何だい」「どうも誠に面目ない」「そのブランケットというものは、人の脚に巻きつける膝掛けじゃあありませんか。それをお前さんは首っ玉へ巻きつけて、本当に呆れてものが言えない」といっている。じつはこの主婦はこの落ちぶれた車夫の妹、という筋書き。毛布はもちろん寝具としての本来の使われ方もあったはずだ。しかしそれはホテルや病院、またとりわけ兵営での使われ方が知られているわりに、一般家庭での状況の情報は乏しい。時代はずいぶん後のことで1930年代後半(ほぼ昭和10年代)になると、夏毛布という工夫が現れているが、これは現代のような綿毛布ではないらしい。「(毛布は)むかしは冬だけと決まっていたようだが、最近では夏毛布といって、毛布にカバーを付けた奴が出ている」(村上正雄『買物読本』1937年)。(大丸 弘)
ID No. D09-057
出典資料 読売新聞
発行年月日 1897(明治30)年9月9日号 1面
小説のタイトル 雨後の残月(2)(2)
作者 三遊亭円朝(1839-1900)[口演];酒井昇造(1860-1915)[速記]
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D4ji:[人力車夫]
D1me:[眼・眉毛周辺の状態(眼・睫毛・眉の化粧)]
Vhao:[羽織]
時代区分・年代 19世紀終わり;1897(明治30)年
国名 日本
キーワード ケットを着る人;眉落とし;小紋の羽織;竪縞のきもの;襖(ふすま)
男女別 男性;女性
体の部分 全身;坐臥