近代日本の身装文化(身装画像)
説明 上野駅から引き出した人力車が、いくらも行かないうちに畑や木立のある景色に囲まれるのだから、当時の東京の環境がわかる。都心のメインストリート以外には舗装などなく、人力車はまだゴム輪の時代ではなかったから、二人合わせて160kgを超えるお客をのせては、老人の車夫にはつらいことだろう。二人乗りの人力車は、人力車というものができるとまもなく現れている。これを禁止した地方もあったが、それは風紀上の理由らしい。ほかに生活の手段もない年寄りが、車宿から二人乗りを借りるのは、もちろんその方が実入りが良いためだ。車夫は紺の法被・股引等を義務づけられていたが、現実にはこんな薄汚い恰好で、規制の目を逃れている連中もいたのだろう。(大丸 弘)
ID No. D08-081
出典資料 報知新聞
発行年月日 1896(明治29)年5月15日号 1面
小説のタイトル 鷲退治:二人衆
作者 村井弦斎(1863-1927)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード G790:[人力車]
D4ji:[人力車夫]
Wta:[タオル;手拭い;手拭い被り]
Vhat:[半天;どてら]
Vmom:[股引]
Ets:[つぎ;繕い]
Wbo:[かぶり物一般;帽子]
D2ma:[丸髷]
Vka:[掛襟]
時代区分・年代 19世紀終わり;1896(明治29)年
国名 日本
特定地域 東京
キーワード 黒襟;ブランケット;ケット;膝掛け
男女別 男性;女性
体の部分 全身;坐臥