近代日本の身装文化(身装画像)
説明 日清戦争(1894年,1895年)に従軍して傷を負った青年。帰国後は退役して、兵器廠の職工となる。「なぜ職工なんぞにおなりなすったのだろう。汚い衣服(キモノ)を着て弁当箱を提げて、毎日この前をお通りなさるところを見ると、私はおいとしくって涙がこぼれるよ」という身寄りの者のことば。一見すると海軍の古軍服の上衣と、モーニングの縞のズボンとを組み合わせているようだ。たとえば大阪砲兵工廠では、十年前の1885(明治18)年に、職工一同に小倉の洋服を給付し、「今後は職工といえども必ず洋服着用のこと」(→年表〈事件〉1885年11月 「職工も洋服着用」東京日日新聞 1885年11月19日6面)としている。明治二十年代も末のこのころに、こうした奇妙な風態で政府の運営する工場に出勤することが、あり得たかどうか疑問がある。(大丸 弘)
ID No. D07-098
出典資料 報知新聞
発行年月日 1895(明治28)年2月14日号 1面
画家・撮影者 鈴木華邨(1860-1919)
小説のタイトル 旭日桜:看護婦〈一番です〉
作者 村井弦斎(1863-1927)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード Wbo:[かぶり物一般;帽子]
D1hi:[ひげ]
Wkut:[靴;サンダル;靴修理;靴磨き]
Whu:[袋物]
Jhi:[人と動物;ペットと人]
時代区分・年代 19世紀終わり;1895(明治28)年
国名 日本
キーワード 兵器蔽の職工;口髭;顎鬚;上衣;縞のズボン;犬
男女別 男性
体の部分 全身