近代日本の身装文化(身装画像)
説明 息子の嫁にするつもりでひとりの娘を家に置いてまもなく、その息子は日清戦争(1894年,1895年)に応召し、やがて帰らぬ人になった。身の置き場がないような女に、「お前はまことに従順(オトナ)しくって神妙だから今更帰すのは惜しいけれども、お前の実家に対しても早く帰さなければならない」と義理の父母からの言い渡し。女の後ろに下地窓があり、小さめの床の間や壁の設えなど、茶室風の離れ。プライヴァシーの守りにくい和風の住宅では、人の耳に入れたくないような話をする場所としても、離れが有効に使われた。両親、嫁ともに羽織を着ているのは、なにも改まった話というわけではなく、単に防寒着というだけ。目上の人の前でものを言う場合の、嫁の手の突き方は法に適っている。嫁とはいうもののまだ正式の祝言前なので、髪は高島田。その嫁が、襦袢の袖を引きだして噛んでいるが、ふつうにはこれは悔しさの表現。(大丸 弘)
ID No. D07-095
出典資料 報知新聞
発行年月日 1895(明治28)年1月12日号 1面
画家・撮影者 鈴木華邨(1860-1919)
小説のタイトル 旭日桜:心の願ひ〈叶へて給へ〉
作者 村井弦斎(1863-1927)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード H6:[和座敷一般]
D2sim:[島田;高島田]
Vhao:[羽織]
D801:[強い悩み・悲しみ・口惜しさ・羞恥の表現]
時代区分・年代 19世紀終わり;1895(明治28)年
国名 日本
キーワード 地窓;下地窓;床の間;火鉢;屏風;敷物;高島田;手の突き方;袖の扱い
男女別 男性;女性
体の部分 全身;坐臥