近代日本の身装文化(身装画像)
説明 ハンカチーフは維新後わりあい早い時期から、日本人の生活習慣の中に取り入れられているが、今日眼にする文字情報としては、1880年代、1890年代(ほぼ明治10~20年代)の重要輸出品としての記録が多い。日本の絹製ハンカチーフを歓迎したのは米国市場で、それまでの清国製品の独占を大きく侵していった。ただし品質においてはまだ清国製品に劣っているとして、とりわけ染色については研究の余地があるとの指摘を受けている(中外物価新報 1887年1月13日1面)。同じころに絹織物の本場フランスに向けても輸出が試みられ、桐生産の綾織の新型ハンカチーフを送ったところすこぶる好評だったので、三千枚を輸出することになった、など。こうした輸出品としてのハンカチーフはもちろん羽二重などの絹製にかぎられているから、われわれの身近なハンカチの日常性とは少し隔たりがある。この絵で涙を拭いているハンカチは、必ずしも絹製である必要はない。(大丸 弘)
ID No. D07-031
出典資料 大阪毎日新聞
発行年月日 1895(明治28)年7月4日号 5面
画家・撮影者 稲野年恒(可雅賎人)(1858-1907)
小説のタイトル 殺人罪(34)
作者 井上笠園(笠園主人)(1867-1900)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D2ma:[丸髷]
Whan:[ハンカチーフ]
Qkas:[絣]
D801:[強い悩み・悲しみ・口惜しさ・羞恥の表現]
Wki:[喫煙関連;タバコ;キセル]
時代区分・年代 19世紀終わり;1895(明治28)年
国名 日本
キーワード ハンカチで涙をぬぐう;竪縞のきもの;薩摩絣;横顔;側面;急須;湯呑み茶碗;煙草盆
男女別 男性;女性
体の部分 全身;坐臥