近代日本の身装文化(身装画像)
説明 身の回りの品物には、正しい名称と言えるものがはっきりしないことが多い。ワイシャツもそのひとつ。この言い方がホワイトシャツの転化だろうということまではだれにも想像できるが。日清戦争後(1869年~)の好景気時代に、大呉服店がカタログ誌を競争で刊行しだした。カタログには顧客によくわかる商品名が要る。そのころから1900年代にかけての三越の【時好】、白木屋の【流行】、高島屋の【新衣裳】などには共通して、紳士洋服の項目中にホワイトシャツ、洋品下着類の項目中にメリヤスシャツという品目が必ず入っていた。ホワイトシャツといっても縞柄も色物もある。それがワイシャツと言い慣わされるようになったのは1910年代(ほぼ大正前半期)に入ってからのようだ。その中間期に「ワイトシャツ」という言い方をしているカタログもあるのは、途中の段階として納得できる。カタログ以外の例では、服下シャツ(大阪朝日新聞 1908年6月2日掲載の欧米雑貨類輸入商の広告)とか、本シャツとかいう言い方もされていて、どちらも肌着の薄地シャツと区別している。もっと前の時期には、下シャツに対して「堅き上シャツ」といっている家庭雑誌の例もある(【ミシンと経済】第4号 1892年12月15日)。 ドレスシャツという言い方もあったが、ホワイトシャツ全体をこう言い変えるのは、日常の衣料にはそぐわない。第二次世界大戦後になると、洗濯屋などではカッターシャツと呼ぶのがふつうになる。カッターボート(短艇)は単純にいえばボートのことで、ボート乗りがみんなこのスタイルをしているはずはないのだが、口調がいいせいかほぼ定着しているようだ。和服下に着るシャツは、右側の帽子を持って立っている書生のような丸首等、ヴァラエティを経て、昭和期に至ったようだ。(大丸 弘)
ID No. D04-087
出典資料 大阪朝日新聞
発行年月日 1892(明治25)年8月6日号 3面
画家・撮影者 二代目歌川貞広(三谷貞広)(1838-1908)
小説のタイトル 人命犯(ひとごろし)(1)
作者 堺欠伸(本吉欠伸)(欠伸居士)(桃南子)(1865-1897)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D4ga:[学生・生徒(男子中学生以上)]
Qkas:[絣]
Vob:[帯]
Pu0:[アンダーウエア]
Wbo:[かぶり物一般;帽子]
D80:[姿勢;ポーズ(特異な姿勢・ポーズ・格好一般)]
時代区分・年代 19世紀終わり;1892(明治25)年
国名 日本
キーワード 書生;飛白のきもの;シャツ;ワイシャツ;ホワイトシャツ;丸首シャツ;素足;頭に手を遣る;麦藁帽子;竪縞のきもの;頬杖を突く;立て膝;机;本;椅子の背もたれ;貧乏;破れ障子
男女別 男性
体の部分 全身;坐臥