近代日本の身装文化(身装画像)
説明 お邸のお嬢様には同じ家に養われて人となった許婚の青年がいる。しかしなぜかその青年は養家もお嬢様も捨てようとしているらしい。お嬢様の味方は小間使の女と田舎出の朴訥な書生。第1回は、許婚の青年が仮の宿にしている大森山王の温泉宿を訪ねる三人。女中と書生を伴に連れた器量よしのお嬢様。「春浅き頃」とあるので三人とも綿入れを重ねている。お嬢様は子持ち縞風のきものと下着の二枚襲、裾袘(フキ)を厚く出し、襟をぐっと抜いて半襟をいっぱいに見せている。髪は高島田で黒塗りの下駄、帯は垂れ結びか。左手の先は袖でくるんで帯の上に抱えている。女性がバッグの類の物を持たなかった時代は、用のない手の扱いに工夫が必要で、その人その人の癖があったようだ。書生は「久留米絣の綿入羽織、脛をあらわす木綿温袍(ヌノコ)、銃猟シャップを横手に被り、肩を怒らす剛勇(ツヨガリ)風」という典型的な当時の書生スタイル。無骨なこういう羽織を書生羽織といったが、のちにはずいぶん意味が変わっている。きものは裾みじかに着て、その下からたぶんネルの股引のすぼまった部分が見える。メリヤスのシャツと股引が袖にも足首にも見えているのもこの手合いの特色。紺足袋にまな板のような薩摩下駄を履いている。品川の海を望む景勝の地大森山王辺は、池上本門寺にも近く、1876(明治9)年には鉄道の駅も開設した。後の八景園という看板は人出を当てこんで新しくできた遊園地。第3回では許婚の青年を捉えて詰問している。青年は「二重合羽(マント)を身に纏い(……)」とあるが、二重外套という方がふつう。しかし上がケープ型になっているため、こういう言い方もよくされた。(大丸 弘)
ID No. D03-026
出典資料 東京朝日新聞
発行年月日 1891(明治24)年2月7日号 3面
画家・撮影者 右田年英(梧斎年英)(1863-1925)
小説のタイトル 対照鏡(あわせかがみ)(10)
作者 三品馨園(生没年不詳)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード Wbo:[かぶり物一般;帽子]
Qkas:[絣]
Vhao:[羽織]
Pu0:[アンダーウエア]
Vta:[足袋]
Wge:[下駄;クロッグ]
D2:[ヘアスタイル]
Vka:[掛襟]
Wmae:[前掛;エプロン;割烹着]
時代区分・年代 19世紀終わり;1891(明治24)年
国名 日本
特定地域 東京;大森山王
キーワード 茶屋;書生;猟銃キャップ;飛白の書生羽織;格子のきもの;メリヤスシャツ;シャツの袖口;紺足袋;薩摩下駄;引っ詰め髪;ひっつめ髪;前垂れ;黒襟;長椅子
男女別 男性
体の部分 全身;坐臥
関連情報 D03-022, D03-024, D03-026