近代日本の身装文化(身装画像)
説明 〈遡及資料〉明治十年代後半の下諏訪辺りとしては少し立派すぎるような門構えの小学校。下校の子どもたちが群がっている。年齢の差もあるらしいので、子どもたちの着ているものも、穿いているものも、髪の恰好も被っているものもマチマチ。この時代、東京では学校へやるには男の子でも羽織や、袂のあるものを着せたり、袴を穿かせたりという気風があり、またそれは同じ東京でも地域的なものだった、という指摘もある。学校に上がる、ということばがあるように、子どもたちにとって、というより、子どもを学校にやることはその親たちにとって晴れがましいことだった。
ID No. D01-221
出典資料 やまと新聞
発行年月日 1889(明治22)年12月15日号 1面
画家・撮影者 水野年方(1866-1908)
小説のタイトル 姨捨山(10)
作者 冨田一郎(一筆庵主人)(生没年不詳)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード G43:[学校]
G05:[塀;門]
Wbo:[かぶり物一般;帽子]
Vhao:[羽織]
Vkat:[肩揚げ]
Vka:[掛襟]
Wzo:[草履;草鞋]
Wge:[下駄;クロッグ]
Wfu:[風呂敷(包み);布包み]
時代区分・年代 19世紀後半;1880年代前半(明治10年代後半)
国名 日本
特定地域 長野;下諏訪
キーワード 小学校の門構え;学生帽;風呂敷包み;黒襟
男女別 女性;男児;女児
体の部分 全身;群像