近代日本の身装文化(身装画像)
説明 女学校から帰った妹が、裁縫(シゴト)中の姉に挨拶している。仕事といえば裁縫を意味したのだが、だんだんそうでもなくなってゆく。女学生が通学に袴を穿くのは、1877(明治10)年以前から始まっていて、ようやくこのころになって批判や抵抗がなくなった。しかし海老茶袴の女学生がごくあたりまえのになるのには、このあと十年くらいはかかった。二人の束髪は同じ縦型束髪でもややちがうスタイルで、姉は下げ巻、妹はもう少し高いところで豊富な毛を巻いているらしい。十代半ばの妹は姉よりずっと大きい造花を挿している。毎朝束髪を結い合うのは、若い姉と妹にとってはちょっとした楽しみだったろう。(大丸 弘)
ID No. D01-153
出典資料 改進新聞
発行年月日 1889(明治22)年1月16日号 1面
画家・撮影者 二代目歌川芳宗(一松斎芳宗)(新井芳宗)(1863-1941)
小説のタイトル 万春楽(4):寄生樹
作者 太庚隠士
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D003:[少女(ほぼ女学生の年頃(12~15,16歳))]
D7jog:[女学生]
D2so:[束髪(前期縦型の)]
Vhaf:[袴(女性)]
Esa:[裁縫;裁縫実習;裁縫用具;ミシン]
Vhan:[半襟]
時代区分・年代 19世紀後半;1889(明治22)年
国名 日本
キーワード 針山;糸;物差し;襖(ふすま)
男女別 女性
体の部分 全身;坐臥