近代日本の身装文化(身装画像)
説明 京都の聖護院という、当時としては街はずれ住まいながら、華族家のお嬢様。傍仕えふたりが朝の身仕舞いを手伝っている。襟足の白さをなにより気にした明治の女性は、化粧といえば冬でも諸(モロ)肌脱ぎ、あるいは大肌脱ぎになって背中まで白粉を塗る。たいていは縁先や窓際に鏡を据えたから寒かったことだろう。襟を深く抜く芸者などの中には、肩の辺りに皹(ヒビ)の切れる人があったという。背後の傍仕えが牡丹刷毛を使っている。この大きさの鏡であると散髪屋のものと同じだが、この時代の散髪屋にとっては、店の壁の大鏡がなによりの財産だった。(大丸 弘)
ID No. CH1-012
出典資料 大阪毎日新聞
発行年月日 1889(明治22)年4月27日号 3面
画家・撮影者 田口年信(二代目年信)(白井勝沅)(修斎国泰)(仙斎年信(二世))(1866-1903)
小説のタイトル 月下氷翁(むすぶのかみ)(15)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D7re:[令嬢モデル]
D2sim:[島田;高島田]
D1kes:[化粧;表情;容貌]
D3had:[肌脱ぎ;胸のはだけ・くつろげ]
D0ro:[露出;シースルー]
D0kes:[化粧品;化粧道具]
Eho:[保存・収納・管理の技術・用具・設備;たたみ方;ハンガー]
Wta:[タオル;手拭い;手拭い被り]
時代区分・年代 19世紀後半;1889(明治22)年
国名 日本
特定地域 京都
キーワード 鏡台;襟白粉;化粧ブラシ;髪を梳く;水差し;カーテン;簀戸(すど);簾戸(すど);葦戸(よしど)
男女別 女性
体の部分 全身;坐臥