近代日本の身装文化(身装画像)
説明 毛布は開国当初から、蝙蝠傘とおなじようにわが国への普及のもっとも早く、また広がった舶来品だ。たいていの舶来品は、沿岸地帯の大都会はともかく、地方の辺鄙な土地への浸透には時間がかかるものだが、毛布が明治初年にはもう、田舎者の姿のシンボルのように考えられていたというのだから、はじめから便利なものとして、よほど喜ばれていたのだろう。この絵は毛布を被る以前の田舎者の旅姿。じつはこれは警視庁の巡査が犯人探索のため、たまたま知り合いの家に預けられていた、田舎から来た人の衣裳を借りての扮装だ。「着茣蓙菅笠を打ち被り、近在の百姓然と扮装(イデタチ)して」と説明がある。この着茣蓙が舶来の毛布――ブランケットに代わったのだ。ふつうはケットと呼んでいたが、響きのいいせいかブランケットのままでもよく口の端に上っていたようだ。ケットが田舎者の恰好としてよく見られたのは20世紀に入る直前くらいの明治30年頃までで、1910年代の初め、大正に入るころには廃絶した、といっている資料もある。ただし今も尚はじめて洋行することを赤ゲット旅行などという、と。(大丸 弘)
ID No. CH1-004
出典資料 都新聞
発行年月日 1904(明治37)年8月31日号 1面
画家・撮影者 富岡永洗(藻斎永洗)(1864-1905)
小説のタイトル 探偵実話 雷巳代治(いかづちみよじ)(7)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード Wkab:[笠]
Vmom:[股引]
Vta:[足袋]
Wzo:[草履;草鞋]
時代区分・年代 20世紀初め;1904(明治37)年
国名 日本
キーワード 菅笠;茣蓙(ござ);紺足袋;ぞうり
男女別 男性
体の部分 全身