近代日本の身装文化(身装画像)
説明 書生羽織といわれる男羽織の、1880年代(ほぼ明治10年代)あたりまでの本来のものは、綿の入った防寒用の長羽織であり、表立ったところへ着て行けるものではなかった。これは若い女の着ている書生羽織。男性にとっての羽織は、紋を付ければ礼装となる。しかし女性にとってはもともと羽織は礼装ではなく、家の中でも外出の折でも寒ければひっかけて着るものだった。きもので学校に通う明治時代の女学生に綿入れの長羽織は、寒い時期には欠かせないものだったろう。羽織といっても羽のごとく軽いわけでもなく、裾は長いし、袂にまで綿の入っているきものは重くて「行くに宜しからず」と戯れ詩が添えてある。おそらくは女学生をはじめ、女性の冬の常着でもあったために、書生羽織はだんだんと贅沢なものになっていった。1900年代(ほぼ明治30年代)に入ったころの書生羽織の生地は、それまでの木綿ばかりではなく、銘仙のほか、京糸織、縞市楽、東華織、大島紬、結城紬――といった絹物材が使われていることを、1920(明治35)年刊の『日本社会事彙』が紹介している。(大丸 弘)
ID No. CH1-002
出典資料 国民新聞
発行年月日 1890(明治23)年2月10日号 3面
小説のタイトル 流風:東京娘子着書生羽織図
作者 無爵者
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D7jog:[女学生]
Wzu:[頭巾;覆面]
Vhao:[羽織]
Wge:[下駄;クロッグ]
時代区分・年代 19世紀後半;1890(明治23)年
国名 日本
特定地域 東京
キーワード 御高祖頭巾;おこそ頭巾;書生羽織;裾の袘(ふき);木履;ぽっくり下駄
男女別 女性
体の部分 全身