近代日本の身装文化(身装画像)
説明 〈遡及資料〉張見世の花魁(オイラン)と遊客のやりとりを、格子の内側からとらえている。遊客は目深に被った中折帽と襟巻で顔を隠しているが、昔は「吉原被り」という、手拭いの独特の被り方をした。もっともこの被り方は、なにも吉原の客しかしなかったわけではなく、屑屋がよくこの恰好をしている。右側の男は冷やかしだろう。明治時代の吉原では仲ノ町の両側の大籬(オオマガキ)ではぜんぶ花魁が張見世をしていたから、その華やかさ、明るさはたとえようもなく、女性でも子どもでも、お女郎さんを見に行こうといって遊びに来たもの。花魁がいちばん外に着ているのは上から放り着る、「しかけ」(=裲襠(ウチカケ))と呼ばれる褂。花嫁さんの着る打掛と同じ古風な衣裳。ちなみにこの時代は、婚礼に打掛を着ることは民間では稀だった。明治の中頃には、どの格子を見ても同じ姿の花魁では遊客の目を惹きにくいというので、洋装をさせてみたり、山形県で抱えた十数人の花魁に、土地の恰好そのままで――裁付(=裁着(タッツケ))袴に鯉口の袖という――張見世させたり(都新聞 1897年3月11日)などなど、けっこうイノベーション志向の歴史はあった。花魁は手に長煙管を持っている。吸付煙草で格子の外のお客を誘うことはだいじなテクニックだったから、1900(明治33)年に〈未成年者喫煙禁止法〉ができたとき、貸座敷業者は「花魁は別扱いにしてくれ」と運動している。彼女たちはお客の指名があるまで煙草を吸う以外のことはできず、読書などもってのほかだった。ただ日露戦争がはじまった1904(明治37)年の夏、張見世の花魁たちに編物をさせて、できた毛糸のセーターを戦地に送ったのはめずらしい例(都新聞 1904年7月9日)。張見世が人権蹂躙(ジュウリン)であることは間違いないので、やがて禁じられて写真に代わった。(大丸 弘)
ID No. C23-003
出典資料 都新聞
発行年月日 1894(明治27)年8月1日号 3面
小説のタイトル 探偵叢話 山田実玄(やまだじつげん)(50)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード G016:[妓楼(窓・格子のみも含む)]
Vuc:[打掛]
D1ka:[髪飾り(櫛,簪,リボン)]
Wki:[喫煙関連;タバコ;キセル]
Wbo:[かぶり物一般;帽子]
Wku:[頸覆い(マフラー,ストール,襟巻,ショール)]
時代区分・年代 19世紀後半;1890(明治23)年
国名 日本
キーワード 遊廓;張り見世(はりみせ);格子;花魁(おいらん);娼妓;遊女;女郎;仕掛け(しかけ);裲襠(うちかけ);長煙管(きせる);後ろ姿;背面;遊客;中折帽子;中折れ帽子;冷やかし客
男女別 男性;女性
体の部分 全身;上半身;坐臥