近代日本の身装文化(身装画像)
説明 行方不明だった父親の水死体を確認する息子。父親は猪苗代町の太物商で、その妾としめしあわせた番頭によって川に突き落とされた。警官は新政府になってから組織も名称も服制もたびたび変わったし、東京の制度が地方に普及するのにも時間がかかったから、画家の描いたこの姿が、かならずしも福島県のこの時代の実際とはかぎらない。警官の制服はだいたいはその時代の陸軍に準じている。この胸ボタンもこのあと廃されて、日清戦争(1894年,1895年)でおなじみの肋骨風になる。この警官は帯剣しているが、維新後、長いあいだ巡査は警棒を持たされていた。廃刀令以後に警官だけが帯剣することにはかなりの批判があり、ようやくこの数年前1884(明治17)年1月に〈巡査帯剣心得〉が公布され、以後第二次大戦まではお巡りさんのサーベル姿が確定した。(大丸 弘)
ID No. C21-035
出典資料 東京朝日新聞
発行年月日 1888(明治21)年8月15日号 3面
画家・撮影者 右田年英(梧斎年英)(1863-1925)
小説のタイトル 虚無僧富士磐梯(こむそうふじいわおのかけはし)(15)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード K6:[海;河川;湖沼]
D4ke:[警察官;目明かし]
D5se:[制服(職場);仕事着(軽作業);事務服]
Wbo:[かぶり物一般;帽子]
Vob:[帯]
Wge:[下駄;クロッグ]
時代区分・年代 19世紀後半;1888(明治21)年
国名 日本
特定地域 福島;猪苗代町
キーワード 警官;胸ボタン;帯剣;筆記具;竪縞のきもの;角帯;のめり下駄;水死体;茣蓙(ござ)
男女別 男性
体の部分 全身;群像