| 説明 | 福島県猪苗代の近郷で、例年7月の13日から16日の夜まで催されるという盆踊り。文中に、「今は東の都には盆踊りといえるものいつの頃よりかあと絶えて(……)」とあるように、昭和初期の東京音頭のフィーバーまでは、江戸東京では祭の豪華さとは対象的に、盆踊りの習慣は途絶えていた。そのためこの時代の東京人にとっては、盆踊りといえば土臭い田舎風俗、という思い込みがあったらしい。物語の発端のこの盆踊りは、1887(明治20)年の7月13日の夜と、めずらしく正確な日付がある。「若き男女の江戸染めの浴衣の華やかなるをこれ見よがしに着かざりて」とあり、東京の神田辺りに多かった紺屋(コウヤ)で染められる中形染の人気が高く、この時代辺りから、浴衣といえば中形のようになってゆく。踊りの列のなかで男はみな頬被りをしているのが眼を惹く。頬被りは明治になって急に衰えた風俗のひとつで、丁髷を結っている時代はなにかというと頬被りをしたものだった。ただし文中にもあるように、盆踊りの夜は武士たちも忍んで市中を遊歩したとあるから、踊りの列のなかに、顔を隠して加わる侍もいたかもしれない。女性は男ほど頬被りということはしないかわりに、下町のおかみさんなどは黒襟付きのきものの後ろ襟に、手拭いを挟むということをよくした。だいたいがきものの襟を汚さないための襟付きのきものなのだから、その襟にまた覆いをするというのは貧乏臭い習慣。1880年代(ほぼ明治10年代)末に入ったころから、女学生など若者のなかに、おなじことをハンカチーフを使ってする習慣がはじまり、これはまったくのお洒落で、新聞、雑誌の投書でも賛否両論あったようだが、1900年代(ほぼ明治30年代)を迎えるころには、「官吏の奥方までも頚にハンカチーフを施している」といわれるような一種の流行となっている。 |
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| ID No. | C21-026 |
| 出典資料 | 東京朝日新聞 |
| 発行年月日 | 1888(明治21)年7月29日号 2面 |
| 画家・撮影者 | 右田年英(梧斎年英)(1863-1925) |
| 小説のタイトル | 虚無僧富士磐梯(こむそうふじいわおのかけはし)(1) |
| 資料タイプ | 挿絵 |
| 身装画像コード | D2ni:[日本髪一般] Vyu:[ゆかた] Wta:[タオル;手拭い;手拭い被り] Wzo:[草履;草鞋] |
| 時代区分・年代 | 19世紀後半;1888(明治21)年 |
| 国名 | 日本 |
| 特定地域 | 福島;猪苗代湖 |
| キーワード | 盆踊り;中形染の浴衣;頬被り;頬かぶり;ぞうり |
| 男女別 | 男性;女性 |
| 体の部分 | 全身;群像 |