近代日本の身装文化(身装画像)
説明 〈遡及資料〉毛布は開国当初から、蝙蝠傘とおなじようにわが国への普及のもっとも早く、また広がった舶来品だ。たいていの舶来品は、沿岸地帯の大都会はともかく、地方の辺鄙な土地への浸透には時間がかかるものだが、毛布が明治初年にはもう、田舎者の姿のシンボルのように考えられていたというのだから、はじめから便利なものとして、よほど喜ばれていたのだろう。この絵は1874(明治7)年の春先、地方出の学生が、東京の学校を受験するための下宿の一間での猛勉強ぶりを描いている。これは地方人であろうと東京人であろうとおなじ恰好になるだろうが、下宿はとりわけ寒かったにちがいない。毛布はもちろん寝具としての本来の使われ方もあったはずだ。しかしそれはホテルや病院、またとりわけ兵営での使われ方が知られているわりに、一般家庭での状況の情報は乏しい。時代はずいぶん後のことで1930年代後半(ほぼ昭和10年代)になると、夏毛布という工夫が現れているが、これは現代のような綿毛布ではないらしい。「(毛布は)むかしは冬だけと決まっていたが、最近では夏毛布といって、毛布にカバーを付けた奴が出ている」(『買物読本』1937年)。(大丸 弘)
ID No. C20-113
出典資料 やまと新聞
発行年月日 1887(明治20)年1月18日号 1面
画家・撮影者 水野年方(1866-1908)
小説のタイトル 双結床の芽柳(ふたむすびとこのめやなぎ)(5)
作者 野狐禅庵のあるじ散花天人
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D4ga:[学生・生徒(男子中学生以上)]
時代区分・年代 19世紀後半;1874(明治7)年
国名 日本
キーワード 書生;ケットを着る人;猛勉強;机;本;筆立て;急須
男女別 男性
体の部分 全身;坐臥