近代日本の身装文化(身装画像)
説明 長い物語の発端、帯地問屋の若旦那の、放蕩のきっかけとなった一場面。慣れない商売仲間の大一座をのがれて、手水(チョウズ)に立った男の後を追ってきた芸者。宿屋では雪隠(セッチン)まで女中が案内して来て、用を足したあと、手水鉢の水で手を清めた客に手拭きを差し出すことはよくあったが、芸者がついてくるのはおそらくただ事ではない。芸者の手渡しているのは流行りはじめたハンカチーフかもしれない。雪隠の入り口には、大きな台石の上にすり鉢型の手水鉢が置いてあるが、手拭きは下がっていない。若旦那のからだの向きからすれば、女の差し出しているのは束ねたちり紙とも考えられる。八代目文楽の演目「つるつる」のなかに、同じ芸者屋に住んでいる幇間(ホウカン)が、惚れた芸者の雪隠に行くときは、紙を揉んでついて行きます――と言っていやがられる場面がある。落とし紙に使うのはふつう浅草紙だが、一口に浅草紙といってもさまざまだから、なかにはかなり黒ずんだ硬めの安物があり、その時代は、紙はよく揉んで使いなさいと母親が教えたものだ。浅草紙どころか、便所の落とし紙といえば、新聞紙を適当な大きさに切りそろえたものを常用している家庭は、第二次世界大戦後でもけっこうあったようだ。子どもが皇族の写真の載っている部分を便所に入れてしまい、父親から大目玉を食ったりした。そんな家でも母親は、娘がお手洗いに行くときは抽斗(ヒキダシ)からそっと、自分用の柔らかい紙を取り出して手渡したりした。それは桜紙とか小菊とか呼んでいたようだが、名称はかなり不正確だろう。京花は薄すぎて落とし紙には使いにくく、一部の人が「御事紙(オンコトガミ)」などといって房事(ボウジ)に用いたらしい。(大丸 弘)
ID No. C19-122
出典資料 絵入朝野新聞
発行年月日 1886(明治19)年10月3日号 2面
画家・撮影者 歌川国松(一龍斎国松)(1855-1944)
小説のタイトル 昼夜帯好染色(17)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D7ge:[芸者;半玉;舞妓]
D2ni:[日本髪一般]
D3hi:[曳裾]
Whan:[ハンカチーフ]
時代区分・年代 19世紀後半;1886(明治19)年
国名 日本
キーワード 曳き裾;雪隠(せっちん);ちり紙;落とし紙;御事紙(おんことがみ);廊下;手水鉢(ちょうずばち)
男女別 男性;女性
体の部分 全身