近代日本の身装文化(身装画像)
説明 つくね髪というのは髪を結んで髷をつくるのではなく、ざっとまとめておく状態をいう。まとめていない状態は髪を洗ったあとの散らし髪だ。現代でも若い女性の中には、長い髪を背中にまで垂らしている人があるが、たいていは紐かなにかで括っている。髷、というほどのものをつくらず、一,二度巻いたりして簡単に括ってまとめておくのがつくね髪だ。各戸に水道の水が来ていなかった時代には、髪を洗うのは大仕事だった。頭がかゆくなると、女は髪を洗うのではなく、結ってある髷をほどいて念入りに梳く。そのために歯の細かい梳き櫛というものがあった。商売人が髪を結うときには、結う前にかならず熱湯を使って下梳きをする。これがこたえられないくらい気持ちがよかったそうだ。お湯はまだたぎっているような熱いのを使うので、髪結いの手の指は熱湯に耐えられるように訓練されていた。しかし明治末頃(ほぼ1910年代)でも、商売人に髪を結わせる人は女の半分もいなかったろうと推測されている。とりわけ裏店を歩けば、自分の家の門口で、隣近所の女とおしゃべりしながら、ほどいた髪を時間構わずに梳いている女をいくらでも見ることができたろう。この絵は、そんな髪をあまりうるさくないように、仮に束ねた状態。仮に、とはいうものの、じつはこのままの状態にしているのが、こうした生活をしている人々では当たり前だった。幕末に書かれた『守貞謾稿』(1837年~)ではこの種のつくね髪を、じれった結び、馬の尾、達磨返しなどという名称で説明しようとしているが、無駄といっていいだろう。強いていえば、いちばん簡単でうるさくない方法が、自然にいくつかのゆるい定型をつくったにすぎない。幕末維新期に撮影された写真の女の髪型を見て、明治生まれの老練な髪結いさんがその半分にも名を付けられず、要するに素人が気ままに結った不器用な髪、と言い捨てた例がある。(大丸 弘)
ID No. C19-090
出典資料 やまと新聞
発行年月日 1886(明治19)年12月28日号 2面
画家・撮影者 月岡芳年(大蘇芳年)(1839-1892)
小説のタイトル 蝦夷錦古郷の家土産(えぞにしきこきょうのいえづと)(22)
作者 三遊亭円朝(1839-1900)[口述];小相英太郎(生年不詳-1900)[速記]
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D2:[ヘアスタイル]
D3ut:[打合せ;襟あき;ぬき襟]
時代区分・年代 19世紀後半;1886(明治19)年
国名 日本
男女別 女性
体の部分 上半身