近代日本の身装文化(身装画像)
説明 〈遡及資料〉主人公の野田つる女が、日蓮宗の権大教正の仙台留錫中の法話を聴聞するという場面だが、つる女の姿は描かれていない。僧侶がこうした法会のさいに身につけるものは宗派によってもちがうが、俗人の着物にあたる法衣(ホウエ)は大体同一。広袖、下半分が袴のように襞付けされているので、一見袴を穿いているように見えるが、上下ワンピース。こういう高位の坊さんの、後頭部を覆っている襟を僧綱襟(ソウゴウエリ)と呼び、そのための法衣を襟立衣(エリタテゴロモ)という。袈裟は五条の袈裟と、より位の高い七条の袈裟とがある。僧の手もとに見えている扇は中啓(チュウケイ)と呼ぶ。ここでは見えないが手首にはかならず念珠を掛けている。(大丸 弘)
ID No. C16-095
出典資料 都新聞
発行年月日 1902(明治35)年3月13日号 1面
画家・撮影者 富岡永洗(藻斎永洗)(1864-1905)
小説のタイトル 中山霊験:九寸五分(66)
作者 伊藤厭花(生没年不詳)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D4so:[僧侶;神官;聖職者]
Wou:[扇子;団扇;扇風機]
時代区分・年代 19世紀後半;1883(明治16)年
国名 日本
特定地域 宮城;仙台
キーワード 日蓮宗の僧侶;権大教正;法衣(ほうえ);僧綱襟(そうごうえり);襟立衣(えりたてごろも);袈裟;中啓(ちゅうけい);テーブル;テーブルクロス;椅子;湯呑み茶碗;水差し
男女別 男性
体の部分 上半身;群像