近代日本の身装文化(身装画像)
説明 土蔵破りの盗みを働き、その金で吉原浅草辺を遊び回っている犯人を、探索の刑事が尾行しているという場面。縞の袷に小紋の羽織はとくにどうということはないが、二十そこそこの男が4月半ばに当時流行の大きな首巻と猟虎(ラッコ)の帽子、堂島風ののめりの駒下駄とくると、懐の温かいことは知れている。様子を窺っている刑事巡査は、犯罪ものの連載小説にはおなじみのスタイルだが、ずいぶん堅い恰好を求められていた。袴の着用はこの数年後に義務づけられている(→年表〈事件〉1886年1月 「各警察署の刑事、特務巡査等はかならず着袴」朝野新聞 1886年1月30日4面)。場所は浅草の楊弓場。楊弓場は矢場ともいい、いま店先で客を呼び込んでいる矢場女は、かなりいかがわしい種類の女と見られていた。店の入口は腰障子だが、腰を屈めて覗ける高さに細めのガラスを入れているのが、開化のしるし。(大丸 弘)
ID No. C16-033
出典資料 東京絵入新聞
発行年月日 1883(明治16)年4月21日号 3面
資料タイプ 挿絵
身装画像コード H59:[出入り口・窓越しの外の風景]
D014:[若い男(20歳前後~30歳前後)]
Wbo:[かぶり物一般;帽子]
Wku:[頸覆い(マフラー,ストール,襟巻,ショール)]
Wge:[下駄;クロッグ]
D4ke:[警察官;目明かし]
Vhao:[羽織]
Vham:[袴(男性)]
Wkut:[靴;サンダル;靴修理;靴磨き]
Wkas:[傘]
時代区分・年代 19世紀後半;1883(明治16)年
国名 日本
特定地域 東京;浅草
キーワード 矢場;楊弓場;腰障子;ガラス;ラッコ帽;首巻;竪縞のきもの;堂島下駄風;のめり下駄;刑事;ワイシャツ;ホワイトシャツ;矢場女
男女別 男性;女性
体の部分 全身