近代日本の身装文化(身装画像)
説明 〈遡及資料〉娘義太夫の全盛は上方から竹本綾乃助が下ってきた1887(明治20)年頃から、といわれる。ただし幕末の娘浄瑠璃の時代から、舞台の外で色を売る女芸人はべつにめずらしいことではなかった。舞台の上で肩衣袴であるのは、熨斗目(ノシメ)柄のきもの同様、もちろん見物の客に対する謙譲の意味で、男の芸人同様だが、男にはない柄物の肩衣。江戸時代には女の手妻(テヅマ)遣い、軽業、水芸などの芸人も、同じ理由で肩衣袴姿で舞台を務める者がいたため、明治になっての女学生の袴には、その印象がだぶった可能性がある。左の太夫の髪は潰し島田、向こうを向いている三味線弾きは銀杏返し。(大丸 弘)
ID No. C14-086
出典資料 都新聞
発行年月日 1895(明治28)年4月25日号 3面
小説のタイトル 探偵実話 娘義太夫(15)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード H80:[舞台;各種の高座(平場,客席,土間との対比を含む)]
D4en:[エンターテイナー;芸人]
D2sim:[島田;高島田]
D2ic:[銀杏返し]
Vhaf:[袴(女性)]
Jge:[劇場内;芝居見物]
D805:[やすらぎ・くつろぎの表現;不作法な姿 ex.座る,あぐら,横たわる,喫煙,こたつにあたる]
時代区分・年代 19世紀後半;1881(明治14)年
国名 日本
キーワード 娘義太夫;肩衣袴;潰し島田;つぶし島田;三味線弾き;書見台;蝋燭;燭台;観客;ワイシャツ;ホワイトシャツ;ワイシャツの袖口
男女別 女性
体の部分 全身;坐臥;群像