近代日本の身装文化(身装画像)
説明 小学校の訓導が故郷へ去るのを惜しんで、生徒卒業生らが見送る情景。1873(明治6)年に学制が布かれ、各地でにわかに小学校が設立された時代は、先生も間に合わせ、生徒も年齢がさまざまだった。ここで見送っている二人は、卒業後もこの先生について教えを受けていた、ということもあるので、十代半ばというくらいの年齢か。羽織袴なのは送別の宴のためだろうが、明治時代には子どもを学校に行かせるのに袴を穿かせる親が多く、地域によってはそれが負担になって、学校に上げるのを躊躇する親もあった。(大丸 弘)
ID No. C14-054
出典資料 東京絵入新聞
発行年月日 1881(明治14)年5月27日号 3面
小説のタイトル 棄児喜六のはなし
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D4kyo:[教員]
Psu:[スーツと附属品]
Wkut:[靴;サンダル;靴修理;靴磨き]
D6se:[洋装;西洋化;西洋観;ハイカラ;西洋かぶれ;開化ぶり;西洋憧憬]
D4ga:[学生・生徒(男子中学生以上)]
Vhao:[羽織]
Vham:[袴(男性)]
時代区分・年代 19世紀後半;1881(明治14)年
国名 日本
男女別 男性
体の部分 全身;群像